到底 AIが代替できない、たった一つの偉業

ある飲料メーカーのCMに登場する女性がぜんぶAIだったと話題になりましたね。

意識していないと(もともとCMはそうですが・・)、ほんとうに区別ってつきません。。

けれど、これからクールな人物がさらりとメディアに登場してきて

それは じつはAIだったのだけれど 結局誰にも気づかれずに消えていく・・・

というくらい ナチュラルに身近になってくるのだと思います。

 

先日、40年ぶりに手塚治虫氏の『ブラックジャック』の新作が発表され、

AIとの共作ということで、こちらも話題になりました。

たしか、メディアによれば ある人間(作家さん)の構想で描いてしまうと、

原作者とは異なる”偏り”がどこかに出てしまうから、

という理由でAIが採用されたらしいです。

 

そんななか、手塚眞氏が日経新聞のOpinion記事にて とても興味深い考察をしていました。

『ブラックジャック』の続編として『火の鳥』が候補に挙げられることが多いが

『火の鳥』は『ブラックジャック』や『鉄腕アトム』のようなキャラクター漫画と異っていて

 

かつて手塚治虫が辿った思想や哲学が土台となってつくられたものであり

過去と未来を5千年もの間隔で行き来する『火の鳥』は

他の漫画家でも AIでも 代替することができない、とありました。

 

あらためて『火の鳥』(現在、ココロして読んでいます)作品の偉大さを実感する言葉ですが、

AIが到底、代わることができない という点が何より意義深いところ。

 

”将来も、この人(作品など)にAIが代わることができない” という偉業を私たちは

何かしら残せるのでしょうか?

人間の本質は何か、という問いを考える記事だなぁと思いました。